第9号 浦島物語(1)
♪昔々浦島は・・・♪でお馴染みの浦島太郎のお話。この話が日本に登場したのは、実は今から1287年前に書かれた「日本書記」。それが時代とともに色々と変化して、今日皆さんがご存知の♪昔々浦島は・・・♪となったのです。(先ずここで「えっ、本当?」と思われるのは正直な方)
今回は、この浦島太郎物語の成立から変遷の歴史をご紹介したいと思います。
浦島年表
AD713年 日本全国に、各地の風土記を撰上せよとの勅命
715年 丹後の国司、伊預部馬養連が丹後風土記を記し、これを朝廷に撰上。
この中に,「浦の島子」の話として、釣りに出て龍宮に行き、300年を経て帰還した浦の島子の話を記載。
720年 「日本書記」刊行。この中に「浦の島子」の話が登場。
要約すると、『海に釣りに出た島子が五色の亀を釣り上げるが、船べりに放り出して居眠りをして、ふと目を覚ますと、絶世の美女が船に坐っていて、「私は仙界の亀姫です。あなたを慕っています。私の国に来て結婚して下さい」と誘われる。島子が同意すると、船はたちまち仙界に。そこで亀姫の両親の許しを得て結婚。三年も経ったころ、ふと故郷のことを思い出し、玉手箱を貰って浜に帰る。しかし、知った人も無く、三百年ほど前に海に出たきり行方不明となっている島子が居たらしいと言われる。途方にくれて、禁じられていた玉手箱を開くと、かぐわしい姿の亀姫が煙と共に天上に舞い上がって、姿を消す』。
759年 万葉集に「水江の浦の嶋子を読む一首」と題した詩が掲載される
825年 第53代、淳和天皇(823~833)が、日本書紀に書かれた「浦の島子」の話に感動して、浦の島子を「筒川大明神」と名付け、丹後半島の筒川(今日の京都府与謝郡伊根町)に小野篁を遣わし、浦島太郎を祭神とする『宇良神社』を造営させ、奉納する。現在も同地に現存している。
1500年頃(室町時代) お伽草子に「浦島太郎」として登場。これ以前は「浦の島子」。
ここまで来ると、「亀さんの説は本当らしいな」と思い始めるのでは?そして、
1892年(明治25年) 日本昔噺(巌谷小波)に、勧善懲悪(亀を助けて)の物語として登場。
1900年(明治33) 唱歌集に「浦島太郎の歌」登場(石原和三郎作詞、田村虎蔵作曲)
1903年(明治36) 国定教科書に「浦島物語」登場。
この様に、八世紀に誕生した物語が、明治の国策によって再登場し、今日一般的に知られている「亀を助けて、亀に乗って竜宮城に行った浦島太郎」となったのです。
私見ですが、原本の日本書紀では「姫に誘われて・・・」が、いつの間にか「亀を助けて・・・」となったのは、明治の中期、国を確立しようとしていた時代に、「武士の子である太郎が、娘に誘われてノコノコと付いて行って・・・」では示しが付かないので、「亀を助けて・・・」という「報恩感謝の物語」に書き換えて普及させたのではないでしょうか。
浦島太郎伝説は、日本の各地に存在しています。ここに揚げた丹後半島の伊根町以外にも沢山あります。
今から7年前の平成12年、この伊根町が音頭を取って「浦島サミット」「浦島シンポジューム」が開かれ、その時にリストアップされたのは、
福島県いわき市
埼玉県両神村
神奈川県横浜市
長野県上松町
長野県山口村
石川県松任市
京都府網野町
愛知県蒲郡市
愛知県武豊町
広島県尾道市
香川県詫間町
香川県仁尾町
沖縄県南風原町
沖縄県与那原町
沖縄県具志川市
の16ヶ所でした。
このサミットはその後、長野県上松町、愛知県武豊町で開催されています。
横浜市は神奈川区に「浦島町」「新浦島町」「浦島ヶ丘」「亀住町」という地名がまとまって存在し、「浦島を祀った廟」「浦島親子の記念碑」「浦島の墓」などがあり、山の中にある「寝覚めの床」で有名な長野県上松町には「浦島神社」「浦島博物館」が、隣村の山口町(今は岐阜県に併合)の木曽川の中洲には「乙姫岩」があります。また、香川県の詫間町には「亀を助けた浜」「亀が迎えに来た浜」「浦島が帰ってきた浜」「見送ってきた乙姫が滞在した浜」「浦島が老後を過ごした場所」「浦島親子の墓」などがあり、「浦島太郎さん」が観光案内をしてくれます。愛知県武豊町には「亀に乗って竜宮城に旅立った浜」「竜宮のあった場所」「浦島の墓」「玉手箱を収めた宝物殿」「浦島を運んだ亀の墓」「乙姫を祀った祠」等があります。丹後半島の西側、網野町にも「浦島が住んでいた場所」「浦島を祀った神社」「竜宮から帰って玉手箱を開け、しわくちゃになった顔のしわを引きちぎって投げつけた松」「乙姫神社」などがあります。このほかにも、鹿児島の最南端、長崎鼻に竜宮神社があったり、このあたりを中心に、古代の沖縄との繫がりを示すと見られる乙姫物語があったりします。
横浜の浦島町辺りの浦島伝説は、当地の有力者が丹後の国司となって赴任した折に、倅の太郎が行方不明になり、泣く泣く任期を終えて帰国した。後日浦島太郎が龍宮から浜に戻って調べたところ、両親は神奈川の地に戻ったと聞いたので、この地に戻り、両親の供養をして過ごしたという物語が残されており、長野県の山の中、木曾の「寝覚めの床」の浦島伝説は、龍宮から戻るときに、玉手箱、仏像、巻物を土産に貰い、その巻物には空を飛ぶ術が書かれていたので、それをマスターして日本中を飛び回っていたが、この寝覚めの床が気に入ったので、ここを永住の土地と定めて、釣り三昧で過ごしたが、それに飽きて、ふと玉手箱を開けると、雲になって大空に舞い上がって行方知らずとなり、残された観音像をこの地に奉納した、と言われています。当地の博物館には「浦島が使っていた釣竿」「硯と墨」が展示されています。ここでも浦島が龍宮に旅立ったのは丹後半島だ、と述べられて居ます。
丹後半島には伊根町と網野町に浦島神社がありますが、松本清張の説によると、本命は網野町だそうですが、私は伊根町が本命のように感じています。
馬鹿な私めは、上記の全ての場所を見てきました。
次回には、浦島物語(2)として、この様に日本中にある浦島伝説、更には東南アジアやハワイにまで点在する「浦島伝説の秘密」についてお話してみようと思っています。お楽しみに!
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