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2007年7月

第12号・浦島物語(4)

浦島太郎の話の最後は、例によって「浦島データ」と行きましょう。
1. 苗字 電話帳で調べてみると、「浦島」さんは全国で1,111件、「浦嶋」さんが147件、計1,258件ありました。県別に見ると
1. 北海道 116件
2. 神奈川 113件
3. 大阪   70件
4. 東京   67件
5. 岩手   64件
6. 富山   61件
7. 埼玉・千葉51件
9. 広島   50件
10. 奈良   44件
新潟、山梨、島根は「0」でした。海無し県の埼玉、奈良にも多く見られるのは意外でした。また、北海道が第一位と言うのも意外ですね。本州から夢を求めて渡った龍宮が実は北海道だったのでしょうか。
神奈川が二位にあるのは、前述した浦島太郎の父親が神奈川から丹後に赴任した、という伝説を裏付けるものなのでしょうか?

浦嶋姓は
1.奈良   18件
2.大阪   16件
3.北海道  15件
4.熊本   13件
5.東京    8件
6.富山、石川、和歌山、兵庫、鹿児島に各6件
浦島姓の分布とは若干異なります。

ついでの事に、龍宮姓は13件、竜宮姓は12件が散見されました。乙姫姓はゼロでした。

電話帳の検索で、ずばり、浦島太郎さんは岩手県と福岡県で各1名見付けました。香川県詫間町には観光案内の三代目浦島太郎さんが居られます。
また、浦島亀一さん、浦島亀吉さん、浦島亀雄さん、浦島亀助さんの名を見付けました。

2. 地名 地名「浦島」は24ヶ所、龍宮・竜宮は35ヶ所、乙姫は5ヶ所、地図で見付けました。
龍宮って何処にあるの、と気にされる方が多いと思いますので、ここにリストアップしてみます。
1.竜宮台    北海道紋別郡常呂町サロマ湖中洲先端
2.竜宮街道    〃
3.龍宮島    宮城県気仙沼市大島龍舞崎
4.竜宮岬    福島県いわき市
5.龍宮小屋   群馬県利根郡片品村
6.竜宮台    千葉県長生郡長生村
7.龍宮     神奈川県藤沢市江ノ島
8.龍宮殿     〃  足柄郡箱根町
9.龍宮洞穴   山梨県南都留郡足和田村
10. 竜宮崎    長野県上水内郡信濃町
11. 竜宮島    静岡県賀茂郡西伊豆町仁科沖
12. 龍宮     愛知県名古屋市港区
13. 竜宮     愛知県豊田市
14. 竜宮橋     〃
15. 竜宮鼻    三重県度合郡紀勢町
16. 竜宮町    京都府舞鶴市東舞鶴
17. 竜宮浜     〃    大浦半島
18. 竜宮山    兵庫県川辺郡猪名川町
19. 竜宮洞門    〃 美方郡浜坂町
20. 竜宮淵    山口県阿武郡河東町
21, 龍宮の潮吹   〃 大津郡油谷町
22, 竜宮岬     〃 徳山市
23, 竜宮崎     〃 新南陽市
24, 竜宮島     〃 豊浦郡豊浦町
25, 竜宮崎    徳島県阿南市
26, 竜宮の磯    〃 鳴門市
27, 竜宮岩    高知県室戸市
28, 龍宮大橋   愛媛県上浮穴郡柳谷村
29, 竜宮島    福岡県三池郡高田町
30, 竜宮島    長崎県島原市
31, 竜宮小島    〃 南松浦郡若松町
32, 竜宮滝    熊本県上益城郡矢部町
33, 龍宮鼻    大分県南海部郡蒲江町
34, 竜宮城展望台 鹿児島県宮古島間島
35, 竜宮城鍾乳洞 沖縄県石垣市

地名・乙姫は
1. 乙姫岩屋(乙姫窟)宮城県気仙沼市大島龍舞崎
2. 乙姫岩    長野県木曽郡山口村(現在は岐阜県)
3. 乙姫橋     〃
4. 乙姫橋    愛知県知多郡武豊町
5. 乙姫     熊本県阿蘇郡阿蘇町

また、浦島・竜宮・乙姫に関わる神社等は、下記の21件が目に付きました。
1.龍宮神社   北海道小樽市
2.諏訪神社   福島県いわき市(浦島太郎生誕の地?)
3.妙関寺    福島県白河市(樹齢400年を超える枝垂桜、名を「乙姫櫻」)
4.浦島寺    神奈川県横浜市(観福寿寺・浦島太郎の墓)
5.慶運寺    神奈川県横浜市
6.蓮法寺    神奈川県横浜市(浦島親子の供養塔)
7.成仏寺    神奈川県横浜市(浦島の腰掛石)
8.臨川寺    長野県上松町(龍宮から持ち帰った弁財天)
9.竜宮の宮神社 愛知県岡崎市
10.浦島社   愛知県武豊町(知里付神社・玉手箱)
11.真楽寺   愛知県武豊町(助けた亀の墓)
12.竜宮神社  愛知県武豊町(太郎が乙姫を偲んで建立)
13.浦島神社  京都府伊根町(宇良神社・玉手箱などの宝物殿)
14.島児神社  京都府網野町(浦島太郎を祀る)
15.西浦島神社 京都府網野町(乙姫を祀る)
16.網野神社  京都府網野町(浦島を祀る)
17.六神社   京都府網野町(浦島を祀る)
18.浦島神社  香川県詫間町(助けた亀を逃がした浜)
19.亀戎社   香川県詫間町(太郎を載せた亀の墓)
20.乙姫神社  宮崎県日南市
21.龍宮神社  鹿児島県山川町(長崎鼻先端)

3.浦島に関する雑話
 ・無人深海探索潜水機 無人で、しかも自力で深海を探索できる潜水機。名付けて「うらしま」。最大潜水深度は3,500m、航続距離300km。現在では潜水深度6,500mの「しんかい6500」もあり、海洋科学に寄与している。
 ・沖縄の龍宮 那覇市から車で約40分、宜野湾市にある普天間宮の社殿の裏にある鍾乳洞は龍宮に続く入口であるとされている。香川県直島の海岸にも、狭い洞窟があり、「ここを抜けると龍宮の浜に行ける」という話があり、私はやっとの思いで通り抜けたら、その先は唯の浜でした。
 ・浦島海苔 熊本県玉名市に本社を置く「浦島海苔株式会社」。主として九州一円の朝食に愛用されている。因みに、前述した愛知県犬山市の祭りのレショプションの折には、この浦島海苔がみやげに配られた。
 ・宿/浦島 浦島を名乗る旅館・ホテル・民宿・海の家などを電話帳で見てみたら、35軒ありました。
しかし、その内の一つ、東京晴海にあった「ホテル浦島」はいつの間にか廃業していました。
 ・宿/龍宮 同様に「龍宮」を見てみたら23軒ありました。「乙姫」は4軒でした。
 ・温泉/浦島 群馬県利根村に龍宮の湯、京都市上京区に龍宮温泉、大阪市港区に竜宮温泉、大阪市八尾市に浦島温泉を見付けました。
 ・熊本県三角西港には明治時代に港のシンボルとして建てられた洋風旅館「浦島屋旅館」があり、ラフカディオ・ハーンも滞在したことがあり、ここをイメージして「夏の日の夢」という短編を書いたとされるが、今は、当時の建物を復元して海浜公園の休憩所にしていました。

これで浦島の項は終り。次回からは亀岡、亀戸、亀有、タートル・ベイ、カメルーン?といった「亀の付く地名」をレポートしたいと思います。私のリストには国内で約1,300ヶ所の「亀地名」がリストアップされています。皆さんのお住まいの近くに「亀」の地名はありますか?教えて下さい。

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第11号・浦島物語(3)

Photo_3 浦島太郎伝説に関連した資料を探していたら、「浦島太郎の倅が母の実家を訪ねた折に、母から土産に貰った薬師如来像が、京都の亀龍院という寺院の本尊として祀られている」という記述に出会いました。また、この記述には、「この薬師如来像は亀の背に乗っており、これと同じく亀の背に乗った薬師如来像は、この他に、淡路島の洲本市物部、兵庫県北部の浜坂町藤尾にもある」と書かれていました。
私は、早速これらの仏像を見るべく、先ずは京都市中京区錦小路にある「延命山亀龍院」を訪ねてみました。
幸い住職にお会いできたので、「亀に乗った薬師如来像」を拝見したいとお願いしたところ、「第二次大戦の折にこの寺は一時住職不在となり、その時期に本尊が無くなってしまった」とのことであった。次に、淡路島の「亀谷薬師堂」を訪ねると、小さなお堂に石造りの「亀に乗った薬師如来像」らしきものが祀ってあったが、地元の人に聞くと、昭和四十一年に焼失してその後作り変えたとのことでした。兵庫県浜坂町の「亀に乗った薬師如来像」は公民館ほどの大きなお堂の中央に、立派に安置されていました。
京都の亀龍院には、その後、篤志者から失われた亀薬師像を復元した本尊が寄贈され、拝観出来る様になっています。

Photo_4 亀の背に乗った記念碑や像はよく見掛けます。松江の月照寺には、巨大な石造りの亀の背に松江城主松平不昧公の顕彰碑が立てられていたり、東京の青山墓地の中には明治の新時代を築いた中心的指導者である大久保利通の公墓が亀の背に建っています。また、山口の毛利家の墓、会津の保科家の墓も亀の背に立てられています。中国や東南アジア各地にも同様の記念碑が数多くあります。これらの一般名称は「亀趺」(きふ)と言いますが、ベースになっている「亀」は、実は亀ではなく「贔屓」(ひいき)という中国での架空の動物?なのです。中国には鳳凰、朱雀、麒麟、龍といった架空の動物が有りますが、この贔屓も一連の架空の動物の一種です。中国の古い教えの一つに「道教」と言うのがあり、その教えの中に不老不死の仙人の住む「蓬莱山」があり、この蓬莱山を支えているのは七匹の亀というところから、貴重なものを支える架空の動物として「贔屓」が登場して来るわけです。この贔屓の特徴として、耳・目・口が大きく、耳で世間の噂をしっかり把握し、目でしっかり世間を見、口で支えている人に助言するという訳です。こういう贔屓の上に乗るのが偉人(スター)で、身を以って、良くなるように支える、これが転じてスターを「ひいきにする」と言う訳で、「贔屓の引き倒し」など、とんでもない話なのです。蛇足ですが、贔屓という文字は貝が4つで成り立っており、貝は古代の通貨でもあります。従って「贔屓」とは金が沢山必要だ、ということを表しているようです。怖いですねぇ!

「亀に乗った人」には、もう一種類のパターンがあります。京都府の北、丹後半島の付け根に「天の橋立」という名所がありますが、その北端に「籠神社」(このじんじゃ、と読みます)があり、この神社の境内に「亀の背に乗った倭宿禰」(やまとすくね)の像があります。これはその昔、神武天皇が東征のおり、倭宿禰が亀の背に乗って攝津に案内したといういわれを形にしたものです。瀬戸内海の所々にこれに類した言い伝えが残っています。ついでに、この籠神社は「元伊勢神宮」とも云い、三重県にある伊勢神宮は、ここから移されたと言われています。また、この籠神社のず~と南、鬼退治で有名な丹波の大江山近くには「元々伊勢神宮」もあります。
亀の背に乗った仏像としては、大阪府茨木市にある高野山真言宗総持寺。ここのご本尊は「亀の背の上に立った千手観世音菩薩像。その昔藤原高房という人が殺されかけた亀を助けて川に放つ。一年後、高房の子が川に落ちて行方不明。しかし、結局昔助けた亀の背に乗って元気に戻って来た。その後・・・、というお話に由来して造られたものです。亀に乗った観音像は群馬県尾島町の亀岡神社にもあると言われています。(私は未確認です)。
佐賀県唐津市に「唐津クンチ」という祭りがあり、盛大に山車(だし)が繰り出されますが、この山車の中に「亀に乗った浦島太郎」があります。唐津駅東の高架下に並ぶ、通称「屋台街」のシャッターには、この唐津クンチに引き出される14台の山車が描かれていますから、物好きな方は見に行って下さい。(これは、平成11年5月の新聞情報。今はまだあるのかな?唐津の読者の方、情報を下さい)。
「浦島太郎」を祭った山車はもう一つ、何と、愛知県犬山市にもあります。舟形をした山車で、この形も珍しい。出車の垂れ幕には「浦嶌」と鮮やかに書かれており、「浦島太郎と乙姫」のからくり人形が見物をより愉しませてくれます。この祭りは毎年4月の第一土曜日に、犬山城の広場を中心に行われています。
犬山市と言えば、浦島太郎を含めて三太郎の一つ、桃太郎に因んだ「桃太郎神社」が、この犬山市にあります。名鉄犬山駅を降り、木曽川に沿って東進した所にあります。そこの記述によりますと、桃太郎は当地で生まれ育ったと記されています。桃太郎と言うと吉備津神社、吉備津彦神社、鬼が城などが揃っている岡山や、高松市の北側、瀬戸内海に浮かぶ女木島を連想しますが、愛知県の最北端にも浦島太郎とセットで遺跡が残されています。
三太郎のもう一人の登場人物、坂田の金太郎は箱根山で生まれ育ち、この章に出てくる「大江山の鬼退治」に参加しています。
蛇足ですが、この大江山や鬼が島は鬼退治の舞台ですが、この鬼退治の舞台には共通して古代の製鉄が絡んでいます。これは偶々の偶然なのでしょうか?私は空想的な仮説として、「鬼退治とは、製鉄技術を持った拠点の分捕り合戦」ではなかろうかと考えています。銅器から鉄器への転換が政治力の根源であった頃、どうしても製鉄技術を入手したくて、騙し討ち的に製鉄所を襲って手中に納めたサクセス物語を美化して語り継いだのではないか?そんな気がしてなりません。『昔丹後の大江山、鬼ども多く住み居いて、都に出ては人を食い・・・」、京都から大江山までは、直線距離にして約80km、国道を走れば100km以上あります。こんな遠い所から、夜な夜な人を食いに日参出来たのでしょうか?

ついでの事に。丹波から丹後に掛けては、ここに書いたように「浦島太郎」「大江山の鬼退治」「神武天皇」「元伊勢神宮」を始めとして色々の伝説が残されています。天女が舞い降りて水浴びをしているのを欲張り爺さんが見て、天女の着ていた羽衣を隠し、家でこき使ったという「羽衣伝説」もこの地の出来事と言われています。この様にこの辺りは古代の伝説の宝庫で、日本建国の秘密が色々と隠されているように思われます。

浦島太郎の話とよく似た話に「海幸彦・山幸彦」の話があります。海で漁をする海幸彦、山の産物の収集を営む山幸彦。ある日、弟の山幸彦が兄の海幸彦から釣り針を借りて魚釣りをしたところが、魚に釣り針を取られてしまう。兄に謝ったが許してもらえない。途方にくれて海辺で困っていると、老翁が現れ、その案内で海の彼方の龍宮城に行く。龍宮の大王が魚を集めて調べると、鯛の口に針が刺さっており、これを抜いて山幸彦に返し、娘の豊玉姫と結婚して三年間を龍宮で暮らすが、やがて故郷に帰る。その折に「潮満珠」をみやげに貰う。この珠のお陰で平和が訪れるが、その後先の姫、「豊玉姫」が大亀に乗って現れ、山幸彦に子供が出来たと告げる。出産の折、海辺に鵜の羽で葺いた小屋を建てるが、姫が未完成の小屋に入り、「決して覗いてはいけない」と夫に言う。山幸彦は心配のあまり覗いてしまう。・・・ここで生まれたのが鵜茅草葺不合尊(うがやふきあえずのみこと)で、この人と、母親の「豊玉姫」の妹、「玉依姫」(たまよりひめ)とが結婚して生まれたのが「神武天皇」だと言われています。(日本書記・神代の下)
宮崎県日南海岸にある鵜戸神宮は(うどじんぐう)、この鵜茅草葺不合尊の生誕の地とされて居り、境内の海辺には、玉依姫を運んだ亀が石となって鎮座し、その背中に明けられた四角い穴に銭を投げ入れると幸福をもたらすと言われています。

龍宮の姫が亀に乗って現れて、異界に誘い、土産を持たせて帰し、その後結婚して、禁断の約束をする。これは先に述べた浦島伝説の五要素をかなり含んでおり、浦島伝説のエッセンスが各地に存在していた証とも考えられると思います。

前述した羽衣伝説の天女は名前は「トヨ」と言うそうで、このトヨは結果として欲張り爺さんの元を逃げ出し、最後には卑弥呼の後、邪馬台国の女王となったトヨであるという説があります。また、山幸彦の奥さんで神武天皇の祖母が「豊玉姫」、伊勢神宮の外宮の主神が「豊受大神宮」。日本古代の主要人物には「トヨ」という名が何故か多く見られます。

Photo_2  【写真・上】京都・亀龍院の「亀に乗った薬師如来像」

 【写真・中】天の橋立・籠神社の「亀に乗った倭宿禰命像」

 【写真・下】日向・鵜戸神宮の土産「亀に乗った豊玉姫」

       

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第10号 浦嶋物語(2)

前回は浦島太郎物語の成立から変遷の歴史をご紹介しました。
浦島太郎に関する研究書は沢山出版されています。「沖縄こそ竜宮だ、竜宮が訛って琉球となった」とか、「タイムスリップ現象である」とか、「中国のどこかえ旅をしたのだ」とか、諸説紛々ですが、この話、実はもっとスケールの大きい、世界の民話考古学の見地からも取り上げられています。

日本は縄文時代、弥生時代を経て、平安時代、室町時代・・・・・。奈良の正倉院御物の中に、シルクロードを通って日本にもたらされた色々の品を見ることが出来ますが、これと同じように、民話や伝説も色々のルートを経て日本に届いています。
ここで取り上げた浦島太郎の物語も、実はその原点は、遠く中近東に求めることが出来るようです。
前回ご紹介した「浦島サミット」では、東大の民話考古学の大権威者、大林太良名誉教授が「浦島伝説の源流」と題した記念講演をされ、「浦島伝説のエッセンスは、
① 謎の人物(動物)に誘われる。
② 異界(桃源郷、龍宮、仙人の国、蓬莱山など)に連れて行かれる。
③ 不思議な時間経過。
④ (禁断の)土産を貰って帰還。
⑤ 禁断を破って意外な結果が出る。
の五要素に分解され、これらの要素を持った民話の追跡から、元を遡ると4,5千年前の中近東、シュメール文明にまで辿り着く」、と話されて居ました。これを私流に解釈し、図式化すると下表のようになります。
Photo_2   
  左図の上をクリックすると、欄外に大きく表示されます。      


① いわゆるシルクロードを経て、中国、朝鮮半島から日本へ。この流れの中で「道教思想」が混入。
② アフガン、インド、ビルマ、長江を経て日本へ。これは、弥生時代の米作文明と重なり合う。
③ いわゆる海のシルクロードを通り、東南アジアを経て日本へ。
もう一つ、大陸から樺太を経て日本へ、のルートを加えると、日本に渡来した古代の日本人の到達ルートとも重なります。超古代人の渡来ルートはさて置くとして、正倉院御物に見られるように、日本は古代から大陸との交流は盛んであり、物流・商流・人流・情報の流れはかなり多様性を持っていました。また、伝説として語られている「徐福伝説」(注)のように、紀元前210年頃に数千人規模で秦(中国)から日本に渡来したと言われる、超大規模な移住なども驚嘆に値します。その様な古代からの流れを見る時に、上図に示すような伝説の伝播ルートがあったとしてもご理解、ご同意いただけると思います。このようにして到達し、語り継がれた「浦島伝説」ですから、これが日本各地に存在するとしても、聊かも不自然ではないと思います。日本に到着した「浦島伝説」は、その地域ごとに地味を加味した物語として現存している、私はこのように解釈したいと考えています。 

注・「徐福伝説」=古代中国の国家『秦』の時代(BC210年頃)に、秦の始皇帝が徐福に命じて、「東の海の彼方に不老不死の島があり、そこに生息する薬草を食すると不老不死が得られると言う。これを捜し求めて参れ!」。この命を受けた徐福は、数千人の部下(各種の職能工が組織されたと言う)を従えて日本に辿り着き定住した。この徐福伝説は、浦島伝説と同様に、日本海側や太平洋側の国内各地に点在していますが、最も有名なのは紀伊半島南端の紀伊勝浦周辺で、勝浦には「徐福公園」があり、「徐福上陸の地」と案内されています。
学説によると、紀元前400年からAD700年にかけての1000年間に、約100万人の渡来人が来たとされていますから、徐福軍団?の渡来は、わが国の弥生時代の文明確立の大きなエポックの一つであったのでしょう。

前回(1)で書き落としましたが、浦島太郎の龍宮というと、何故か海の底、海底にあるように思われていますが、これは大間違い。『昔むかし浦島は・・・』の唱歌にしても「助けた亀に連れられて・・・」とあるだけで、「亀が潜って海底へ」とは書かれてはいません。これは挿絵からのイメージで、いつの間にか定着してしまったのでしょう。正しくは?「舟に乗っていて、姫に言われて目を瞑っていたら、たちどころに龍宮へ」が原典に書かれている真相です。また、龍宮=蓬莱山だとすると、これは亀に支えられて海の彼方に浮かんでいる仙人の島ですから、矢張り海の底ではありません。謹んで、常識の訂正?をお願いします。
???合掌???

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