第10号 浦嶋物語(2)
前回は浦島太郎物語の成立から変遷の歴史をご紹介しました。
浦島太郎に関する研究書は沢山出版されています。「沖縄こそ竜宮だ、竜宮が訛って琉球となった」とか、「タイムスリップ現象である」とか、「中国のどこかえ旅をしたのだ」とか、諸説紛々ですが、この話、実はもっとスケールの大きい、世界の民話考古学の見地からも取り上げられています。
日本は縄文時代、弥生時代を経て、平安時代、室町時代・・・・・。奈良の正倉院御物の中に、シルクロードを通って日本にもたらされた色々の品を見ることが出来ますが、これと同じように、民話や伝説も色々のルートを経て日本に届いています。
ここで取り上げた浦島太郎の物語も、実はその原点は、遠く中近東に求めることが出来るようです。
前回ご紹介した「浦島サミット」では、東大の民話考古学の大権威者、大林太良名誉教授が「浦島伝説の源流」と題した記念講演をされ、「浦島伝説のエッセンスは、
① 謎の人物(動物)に誘われる。
② 異界(桃源郷、龍宮、仙人の国、蓬莱山など)に連れて行かれる。
③ 不思議な時間経過。
④ (禁断の)土産を貰って帰還。
⑤ 禁断を破って意外な結果が出る。
の五要素に分解され、これらの要素を持った民話の追跡から、元を遡ると4,5千年前の中近東、シュメール文明にまで辿り着く」、と話されて居ました。これを私流に解釈し、図式化すると下表のようになります。
左図の上をクリックすると、欄外に大きく表示されます。
① いわゆるシルクロードを経て、中国、朝鮮半島から日本へ。この流れの中で「道教思想」が混入。
② アフガン、インド、ビルマ、長江を経て日本へ。これは、弥生時代の米作文明と重なり合う。
③ いわゆる海のシルクロードを通り、東南アジアを経て日本へ。
もう一つ、大陸から樺太を経て日本へ、のルートを加えると、日本に渡来した古代の日本人の到達ルートとも重なります。超古代人の渡来ルートはさて置くとして、正倉院御物に見られるように、日本は古代から大陸との交流は盛んであり、物流・商流・人流・情報の流れはかなり多様性を持っていました。また、伝説として語られている「徐福伝説」(注)のように、紀元前210年頃に数千人規模で秦(中国)から日本に渡来したと言われる、超大規模な移住なども驚嘆に値します。その様な古代からの流れを見る時に、上図に示すような伝説の伝播ルートがあったとしてもご理解、ご同意いただけると思います。このようにして到達し、語り継がれた「浦島伝説」ですから、これが日本各地に存在するとしても、聊かも不自然ではないと思います。日本に到着した「浦島伝説」は、その地域ごとに地味を加味した物語として現存している、私はこのように解釈したいと考えています。
注・「徐福伝説」=古代中国の国家『秦』の時代(BC210年頃)に、秦の始皇帝が徐福に命じて、「東の海の彼方に不老不死の島があり、そこに生息する薬草を食すると不老不死が得られると言う。これを捜し求めて参れ!」。この命を受けた徐福は、数千人の部下(各種の職能工が組織されたと言う)を従えて日本に辿り着き定住した。この徐福伝説は、浦島伝説と同様に、日本海側や太平洋側の国内各地に点在していますが、最も有名なのは紀伊半島南端の紀伊勝浦周辺で、勝浦には「徐福公園」があり、「徐福上陸の地」と案内されています。
学説によると、紀元前400年からAD700年にかけての1000年間に、約100万人の渡来人が来たとされていますから、徐福軍団?の渡来は、わが国の弥生時代の文明確立の大きなエポックの一つであったのでしょう。
前回(1)で書き落としましたが、浦島太郎の龍宮というと、何故か海の底、海底にあるように思われていますが、これは大間違い。『昔むかし浦島は・・・』の唱歌にしても「助けた亀に連れられて・・・」とあるだけで、「亀が潜って海底へ」とは書かれてはいません。これは挿絵からのイメージで、いつの間にか定着してしまったのでしょう。正しくは?「舟に乗っていて、姫に言われて目を瞑っていたら、たちどころに龍宮へ」が原典に書かれている真相です。また、龍宮=蓬莱山だとすると、これは亀に支えられて海の彼方に浮かんでいる仙人の島ですから、矢張り海の底ではありません。謹んで、常識の訂正?をお願いします。
???合掌???
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