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第11号・浦島物語(3)

Photo_3 浦島太郎伝説に関連した資料を探していたら、「浦島太郎の倅が母の実家を訪ねた折に、母から土産に貰った薬師如来像が、京都の亀龍院という寺院の本尊として祀られている」という記述に出会いました。また、この記述には、「この薬師如来像は亀の背に乗っており、これと同じく亀の背に乗った薬師如来像は、この他に、淡路島の洲本市物部、兵庫県北部の浜坂町藤尾にもある」と書かれていました。
私は、早速これらの仏像を見るべく、先ずは京都市中京区錦小路にある「延命山亀龍院」を訪ねてみました。
幸い住職にお会いできたので、「亀に乗った薬師如来像」を拝見したいとお願いしたところ、「第二次大戦の折にこの寺は一時住職不在となり、その時期に本尊が無くなってしまった」とのことであった。次に、淡路島の「亀谷薬師堂」を訪ねると、小さなお堂に石造りの「亀に乗った薬師如来像」らしきものが祀ってあったが、地元の人に聞くと、昭和四十一年に焼失してその後作り変えたとのことでした。兵庫県浜坂町の「亀に乗った薬師如来像」は公民館ほどの大きなお堂の中央に、立派に安置されていました。
京都の亀龍院には、その後、篤志者から失われた亀薬師像を復元した本尊が寄贈され、拝観出来る様になっています。

Photo_4 亀の背に乗った記念碑や像はよく見掛けます。松江の月照寺には、巨大な石造りの亀の背に松江城主松平不昧公の顕彰碑が立てられていたり、東京の青山墓地の中には明治の新時代を築いた中心的指導者である大久保利通の公墓が亀の背に建っています。また、山口の毛利家の墓、会津の保科家の墓も亀の背に立てられています。中国や東南アジア各地にも同様の記念碑が数多くあります。これらの一般名称は「亀趺」(きふ)と言いますが、ベースになっている「亀」は、実は亀ではなく「贔屓」(ひいき)という中国での架空の動物?なのです。中国には鳳凰、朱雀、麒麟、龍といった架空の動物が有りますが、この贔屓も一連の架空の動物の一種です。中国の古い教えの一つに「道教」と言うのがあり、その教えの中に不老不死の仙人の住む「蓬莱山」があり、この蓬莱山を支えているのは七匹の亀というところから、貴重なものを支える架空の動物として「贔屓」が登場して来るわけです。この贔屓の特徴として、耳・目・口が大きく、耳で世間の噂をしっかり把握し、目でしっかり世間を見、口で支えている人に助言するという訳です。こういう贔屓の上に乗るのが偉人(スター)で、身を以って、良くなるように支える、これが転じてスターを「ひいきにする」と言う訳で、「贔屓の引き倒し」など、とんでもない話なのです。蛇足ですが、贔屓という文字は貝が4つで成り立っており、貝は古代の通貨でもあります。従って「贔屓」とは金が沢山必要だ、ということを表しているようです。怖いですねぇ!

「亀に乗った人」には、もう一種類のパターンがあります。京都府の北、丹後半島の付け根に「天の橋立」という名所がありますが、その北端に「籠神社」(このじんじゃ、と読みます)があり、この神社の境内に「亀の背に乗った倭宿禰」(やまとすくね)の像があります。これはその昔、神武天皇が東征のおり、倭宿禰が亀の背に乗って攝津に案内したといういわれを形にしたものです。瀬戸内海の所々にこれに類した言い伝えが残っています。ついでに、この籠神社は「元伊勢神宮」とも云い、三重県にある伊勢神宮は、ここから移されたと言われています。また、この籠神社のず~と南、鬼退治で有名な丹波の大江山近くには「元々伊勢神宮」もあります。
亀の背に乗った仏像としては、大阪府茨木市にある高野山真言宗総持寺。ここのご本尊は「亀の背の上に立った千手観世音菩薩像。その昔藤原高房という人が殺されかけた亀を助けて川に放つ。一年後、高房の子が川に落ちて行方不明。しかし、結局昔助けた亀の背に乗って元気に戻って来た。その後・・・、というお話に由来して造られたものです。亀に乗った観音像は群馬県尾島町の亀岡神社にもあると言われています。(私は未確認です)。
佐賀県唐津市に「唐津クンチ」という祭りがあり、盛大に山車(だし)が繰り出されますが、この山車の中に「亀に乗った浦島太郎」があります。唐津駅東の高架下に並ぶ、通称「屋台街」のシャッターには、この唐津クンチに引き出される14台の山車が描かれていますから、物好きな方は見に行って下さい。(これは、平成11年5月の新聞情報。今はまだあるのかな?唐津の読者の方、情報を下さい)。
「浦島太郎」を祭った山車はもう一つ、何と、愛知県犬山市にもあります。舟形をした山車で、この形も珍しい。出車の垂れ幕には「浦嶌」と鮮やかに書かれており、「浦島太郎と乙姫」のからくり人形が見物をより愉しませてくれます。この祭りは毎年4月の第一土曜日に、犬山城の広場を中心に行われています。
犬山市と言えば、浦島太郎を含めて三太郎の一つ、桃太郎に因んだ「桃太郎神社」が、この犬山市にあります。名鉄犬山駅を降り、木曽川に沿って東進した所にあります。そこの記述によりますと、桃太郎は当地で生まれ育ったと記されています。桃太郎と言うと吉備津神社、吉備津彦神社、鬼が城などが揃っている岡山や、高松市の北側、瀬戸内海に浮かぶ女木島を連想しますが、愛知県の最北端にも浦島太郎とセットで遺跡が残されています。
三太郎のもう一人の登場人物、坂田の金太郎は箱根山で生まれ育ち、この章に出てくる「大江山の鬼退治」に参加しています。
蛇足ですが、この大江山や鬼が島は鬼退治の舞台ですが、この鬼退治の舞台には共通して古代の製鉄が絡んでいます。これは偶々の偶然なのでしょうか?私は空想的な仮説として、「鬼退治とは、製鉄技術を持った拠点の分捕り合戦」ではなかろうかと考えています。銅器から鉄器への転換が政治力の根源であった頃、どうしても製鉄技術を入手したくて、騙し討ち的に製鉄所を襲って手中に納めたサクセス物語を美化して語り継いだのではないか?そんな気がしてなりません。『昔丹後の大江山、鬼ども多く住み居いて、都に出ては人を食い・・・」、京都から大江山までは、直線距離にして約80km、国道を走れば100km以上あります。こんな遠い所から、夜な夜な人を食いに日参出来たのでしょうか?

ついでの事に。丹波から丹後に掛けては、ここに書いたように「浦島太郎」「大江山の鬼退治」「神武天皇」「元伊勢神宮」を始めとして色々の伝説が残されています。天女が舞い降りて水浴びをしているのを欲張り爺さんが見て、天女の着ていた羽衣を隠し、家でこき使ったという「羽衣伝説」もこの地の出来事と言われています。この様にこの辺りは古代の伝説の宝庫で、日本建国の秘密が色々と隠されているように思われます。

浦島太郎の話とよく似た話に「海幸彦・山幸彦」の話があります。海で漁をする海幸彦、山の産物の収集を営む山幸彦。ある日、弟の山幸彦が兄の海幸彦から釣り針を借りて魚釣りをしたところが、魚に釣り針を取られてしまう。兄に謝ったが許してもらえない。途方にくれて海辺で困っていると、老翁が現れ、その案内で海の彼方の龍宮城に行く。龍宮の大王が魚を集めて調べると、鯛の口に針が刺さっており、これを抜いて山幸彦に返し、娘の豊玉姫と結婚して三年間を龍宮で暮らすが、やがて故郷に帰る。その折に「潮満珠」をみやげに貰う。この珠のお陰で平和が訪れるが、その後先の姫、「豊玉姫」が大亀に乗って現れ、山幸彦に子供が出来たと告げる。出産の折、海辺に鵜の羽で葺いた小屋を建てるが、姫が未完成の小屋に入り、「決して覗いてはいけない」と夫に言う。山幸彦は心配のあまり覗いてしまう。・・・ここで生まれたのが鵜茅草葺不合尊(うがやふきあえずのみこと)で、この人と、母親の「豊玉姫」の妹、「玉依姫」(たまよりひめ)とが結婚して生まれたのが「神武天皇」だと言われています。(日本書記・神代の下)
宮崎県日南海岸にある鵜戸神宮は(うどじんぐう)、この鵜茅草葺不合尊の生誕の地とされて居り、境内の海辺には、玉依姫を運んだ亀が石となって鎮座し、その背中に明けられた四角い穴に銭を投げ入れると幸福をもたらすと言われています。

龍宮の姫が亀に乗って現れて、異界に誘い、土産を持たせて帰し、その後結婚して、禁断の約束をする。これは先に述べた浦島伝説の五要素をかなり含んでおり、浦島伝説のエッセンスが各地に存在していた証とも考えられると思います。

前述した羽衣伝説の天女は名前は「トヨ」と言うそうで、このトヨは結果として欲張り爺さんの元を逃げ出し、最後には卑弥呼の後、邪馬台国の女王となったトヨであるという説があります。また、山幸彦の奥さんで神武天皇の祖母が「豊玉姫」、伊勢神宮の外宮の主神が「豊受大神宮」。日本古代の主要人物には「トヨ」という名が何故か多く見られます。

Photo_2  【写真・上】京都・亀龍院の「亀に乗った薬師如来像」

 【写真・中】天の橋立・籠神社の「亀に乗った倭宿禰命像」

 【写真・下】日向・鵜戸神宮の土産「亀に乗った豊玉姫」

       

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